郷にいれば、郷に従え...

When in Rome, do as the Romans do(郷にいれば、郷に従え)の諺は、「ケントに入れば…… ローマ人に習え」でした。侵略軍であっても故郷の豊かな生活習慣を置いてくることはできず、ローマ人にとってのワインは、その筆頭だったようです。紀元後数世紀における英国のブドウ栽培は、その社会モデルを反映し、農家ではなく修道院の管轄でした。

1086年、イングランドが温暖な気候に恵まれていた時代につくられた世界初の土地台帳である「ドゥームズデイ・ブック」には、イーリーからグロスタシャー以南の地域に、40以上のブドウ畑があったことが記録されています。その後450年の間に、さらに100のブドウ畑が出現したものの、ヘンリー8世が修道院の役割を見直すのに合わせ、その後、休耕期が続きました。

急速な社会変化と、何世紀にもわたって続いた雨天の多い気候が農耕を難しいものにし、さらに1340年に始まったイギリスとボルドーの貿易により、豊かな輸入ワインが英国の港に陸揚げされたため、中世における国産ワインの不足は非常に長くー 実に450年もの間ー 続いたのです。

 

戦後に始まったワインの近代史

17世紀と18世紀には、植民地化を進める帝国精神に好奇心を刺激され、庭師にブドウを植えるよう指示した英国紳士の植物学者もいたものの、それはあくまで趣味の範囲にとどまりました。一般の人々のワインに対する関心が高まったのは、戦後の1950年代から60年代にかけて、ヨーロッパ大陸が平和を祝福するムードに包まれた時でした。この時期からようやく、イギリスでの近代的なワイン普及が始まったのです。

英国の生産者は当初、病気に強く、国際的に評価の高い品種とはいかないまでも、新しい消費者に受け入れられやすいことから、ミュラー=トゥルガウのような華やかなドイツ品種を好みました。以来、平均気温が2度上昇する間に、英国人は熱心な研究を重ねてブドウ栽培の知識を蓄積し、栽培技術を洗練させ、様々な品種の栽培に成功してきました。

 

なぜ英国ワインではスパークリングが主流なの?

 

現在、英国ワインの生産量の70%以上がスパークリングワインです。イギリスの気候でも、伝統的なシャンパーニュ品種であるシャルドネ、ピノ・ノワール、ピノ・ムニエが、スパークリングワインに適したレベルにまで成熟することが理由です。

しかし、英国でスパークリングワインの生産が盛んな理由は、消費者の嗜好にもあります。一般的に知られてはいませんが、歴史的に、英国は常に世界最大のシャンパーニュ輸入国でありつづけてきました。人口一人あたりの本数だけでなく、年間の購入本数でも世界一なのです。例えば2018年には、英国では約2,700万本のシャンパーニュが消費されています。英国よりも人口がずっと多いアメリカがこの数字に近づいていますが、輸入量3位の日本の2倍、中国の5倍以上の量を輸入しています。シャンパンの消費量がプロセッコの販売量を大きく上回っていることを考慮しても、泡への愛情が伝わるかと思います。

と考えると、英国の消費者が自国産のスパークリングワインに惹かれるのも、何ら不思議ではないでしょう。シャンパーニュに対する愛情は依然として高いものの、英国人の舌が優れた国産ワインによって満たされることも多くなってきています。

 

ガスボーン物語

ガズボーンはこのエキサイティングな英国ワイン発展の一翼を担っていることを誇りに思います。2004年、ケント州アップルドアに最初のブドウの樹を植えてから、今では90haのブドウ畑を持つまでに成長しました。

ガズボーンでは、ブドウの品質を保証する唯一の方法は、ブドウを自分たちで栽培することだと考えています。そのため、ワイン造りに使用するブドウは全て、自社栽培のブドウです。国内外の様々なコンテストでも名誉ある賞をいただけていることから、古代ローマの先人たちも、これを認めてくれているのだと思っています。

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