ステレンボッシュで撒かれた種
私は、まず何かを始めてみて、後で理由を考えることが多い。南アフリカのステレンボッシュ大学に入った時も、自分には生化学は向いていないと判断して医学の道に進んだ。ステレンボッシュでは、今や南アフリカ最高峰のワインが造られるようになったね。ステレンボッシュはよく食べ、よく飲み、息をするようにワインを飲む街だけれど、私も間違いなくその恩恵(教育)を受けたよ。
イギリスの庭、ケントへ
数年後、家族の人生経験になればと、家族とヨークシャーに引っ越すことにした(私はイギリスと南アフリカの二重国籍を持っている)。整形外科医として勤務しながら、デイルズ(マンチェスターの北)の小さな農場に住み始めた。極寒の冬に備えて四輪駆動車を買ったのに、15年間で降った大雪といえばたったの一回きりだったよ!
その頃には娘の一人がケントに住んでいて、ある晴れた週末、彼女がバーベキューに招いてくれたんだ。そこで私はこっそり、ケント州の気候について調べ始めた。ブドウを育てられる可能性は、大いにありそうだった。
トラクターは1台?2台?
そんな時、ケント州で売りに出されている農場の情報を耳に挟んだ。広さは500エーカーで(200ha)、すべて耕作地。それで、その農場を買ったんだ!家族の誰もが、とうとう父親は狂ったかと思っていたね。でも、ケント州の気候や日照時間などのデータを読みに読み込み、ブドウ栽培には最適な土地だと分かっていたから、私には単なる楽観で大金をつぎ込んでいるのではないという確信があった。ライフスタイルとしてブドウ畑の購入を夢見ている人たちがたくさんいることも知っている。そういうベンチャーの類は、事業を十分に考え抜いていないがために涙に終わることが多い。
でも、私は入念に準備をした。想像したんだ。たった数エーカーの土地にブドウを植えるのでは、割に合わない。でも畑が12エーカーもあれば、トラクターは一番壊れて欲しくない時に故障するだろうから、1台ではなく2台必要になる。もしそうやって耕作設備を整えるのであれば、それに見合うだけの広さを耕す必要がある。そうして、私は50エーカー(20ha)から始めることに決めたんだ。
人の手には代えられない
死と税金の他に、人生には避けられないものがもう一つある。それは、人件費の上昇だ。だから農園やブドウ畑は、高度に機械化することを前提として考えなければいけないが、例外があるとすれば、収穫と剪定作業だろう。この二つの作業には、細心の注意を払っても払いすぎることはない。
ガズボーンでは全房収穫(ブドウを一房ずつ収穫すること)をしているけれど、これは人の手でしかできない作業だ。だからこそ、私たちは勤勉で献身的なピッカー(収穫者)を大切にしている。同じピッカーが毎年収穫の時期に戻ってきてくれれば、彼らの中に経験と知識が蓄積されて、結果的にブドウをより短時間で収穫し、ワイナリーに運べるようになるから。
剪定も、ある種の芸術とさえ呼べるものだよ。蔓はそれぞれのスピードで自由に成長するものだから、紋切型の剪定方法なんてないんだ。
体に染みついた整形外科医の習慣
生化学から整形外科に進路を変更した後は、一度たりとも道を変えることはなかった。ガズボーンを立ち上げる時も、外科での経験が生きたよ。私の手術はいつも穏やかで、想定外の事態なんて起きようもなかった。クラシック音楽が流れる中で、可能な限り最高の仕事をしようと、皆がベストを尽くした。それが習慣になると、ブドウの栽培でも同じアプローチを取ることができる。素晴らしいワインは偶然ではできないが、素晴らしい土地を購入できたことは、とても幸運だったね。ステレンボッシュからケントへのこの旅は、私が思っていた以上に素敵なものになったよ。